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東日本旅客鉄道(JR東日本)
山手線
埼京線
湘南新宿ライン
中央線(快速)
中央・総武線(各駅停車)
小田急電鉄
小田原線
京王電鉄
京王線
京王新線 …都営新宿線と直通(新線新宿駅)
東京都交通局
駅番号S-01 新宿線 …京王新線と直通
駅番号E-27 大江戸線
東京地下鉄(東京メトロ)
駅番号M-08 丸ノ内線
以下の駅とは地下通路などでつながっている。鉄道会社によっては公式な接続駅となっているものもある。
西武新宿駅(西武新宿線)
新宿西口駅(都営大江戸線)
新宿三丁目駅(東京メトロ丸ノ内線、都営新宿線)
2004年度の1日平均乗降客数はJR・私鉄・地下鉄を合わせて約346万人(西武新宿駅を含む)にも及び、世界第1位を誇る(市町村で1位の横浜市の人口(358万人)より10万人程度少ないという規模)。
(1)JR線 約150万人
この数字はJRのみならず、日本の全鉄道会社の全駅の中でも1位である。
(2)小田急線 約48万人
小田急の駅としては1位である。
(3)京王線 約71万人
京王電鉄だけではなく、全国の私鉄事業者の駅としても1位である。
(4)都営新宿線 約23万人
(5)都営大江戸線 約10万人
両者を合わせてた33万人の乗降客数は、都営地下鉄の中でも1位である。
(6)東京メトロ丸ノ内線 約24万人
東京メトロの中では5位である。
(7)西武新宿駅 約19万7,000人
西武新宿線の駅では高田馬場に次いで2位である。
新宿に鉄道の駅ができたのは、1885年(明治18年)3月1日に日本鉄道により赤羽〜品川間の路線(現在のJR山手線)が開設された時である。しかしこの時は新宿と言っても町外れに駅が設けられたためにほとんど利用がない事もあったと伝えられている。平日でも利用客はごくわずかで、雨の日など利用客が0人の時もあった。次いで1889年(明治22年)4月11日に甲武鉄道(現・JR中央線)によって立川までの路線が開設され、同年8月には八王子まで延長される事で賑う様になった。
その後、1915年(大正4年)5月1日に京王電気軌道(現・京王電鉄)が、1927年(昭和2年)4月1日には小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)がそれぞれ新宿駅を開業させている。
一時期、のりばの番号が国鉄(現・JR)→小田急→京王の順で連番だった事もある。
JRの駅は、当初は1〜10番線までだった。以下にホームの使用状況変遷を挙げる。
1・2(中央特急)⇒3・4⇒5・6⇒工事⇒現7・8(中央上り)1986年に埼京線を新宿に延伸するのに今の場所に1面2線のホーム(現1・2)を設置させた訳だが、当時の国鉄では「番線は駅長室に近い方(当駅は東側)から番号を振る」という方針だったため、上記5つの各ホームの番線を大きくずらす事になった(各列最初の⇒)。それにより、のりばを番線で覚えていた利用者は混乱した。
さらに1991年の成田エクスプレスの運転開始で新宿が始発駅となったために現3・4番線を新設させた。その後特急ホームの改良工事により2003年にその機能は代々木寄りに新設された現在の5・6番線へと移行され、改良工事中だったホームは2004年に中央上り専用(現7・8)へと移り、同時に今まで中央上りだったホームを今度工事する事になる。このホームは2006年4月16日から中央下り専用(新9・10)となり(元の中央下り専用(旧9・10)は一時閉鎖)、南口の甲州街道跨線橋架け替え終了後に中央特急専用となる予定である。この時、現在工事中のホームがもしホームの並び順に忠実に9・10番線を名乗っていれば、現在の9〜14番線はまた大きい番線ずらしをする事になり、案内表示などを全部一新する必要が出て来て、利用者の混乱も予想される。なお、このときには現5・6番線が山手貨物線(埼京線・湘南新宿ライン・成田エクスプレス・東武直通特急等)用のホームとなる予定である。
ところで、上越新幹線の大宮駅〜新宿駅間の計画が現在も生きており、北海道・北陸新幹線開通時には同区間を建設する可能性がある。戸田公園駅付近までは東北新幹線と線路を共用し、荒川から地下にもぐって新宿に達するというものである。なお、開通した暁には上越以外の各新幹線も乗り入れる予定である。
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